砂時計

逆立ちする幼児とぬいぐるみのクマ

勉強会で逆立ちについての話があった。

僕らの身体は時間と共に硬くなっていく。生まれた時はお餅みたいにグニャグニャなのに、あちらの世界に旅立つ時は石のように硬くなってしまう。それは日常生活で腰に負担をかけ、肩甲骨をあまり使わなくなった現代人の宿命とも言える。しかし逆立ちは、そんな硬くなっていく身体を柔らかくしてくれる。逆立ちは常にストレスにさらされている腰を一時的に開放し、普段出番の少ない肩甲骨を表舞台に引き出す。逆立ちによって背中全体のバランスが整えられ、身体は柔らかさを取り戻していく。

そういう話だった。なるほど。逆立ちは砂時計のようなものだと。両手を地面について足をヒョイっとあげれば、まるで砂時計を逆さまにするように僕らは流れる時間をも反転させられる。

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町の中心部から少し離れた自然広がるのどかな町。そこに小さな少年サッカークラブがある。決して強いチームではない。むしろなかなか勝てない。でも不思議なことに毎年素晴らしい選手が出てくる。そのチームで活躍していた選手たちは、中学生になってどこのチームに行ってもみんな活躍する。なぜそんな小さなサッカークラブから次々と素晴らしい選手が出てくるのか。その秘密を探りに行った。

グラウンドには広がるのはよくある練習風景。特別な練習をやっているようには見えない。そんな中、ふとあることに気がついた。それは子供たちの笑顔が多いということ。なるほど。指導者が威張っていない。威圧的じゃない。だからピリピリとした空気ではなくて、落ち着いた雰囲気がグラウンド全体を包み込んでいる。もちろん子供たちだから、ふざけすぎて怒られることもある。それでもやっぱりグラウンドには優しい空気が漂っていて、ほっこりとした居心地の良い空間がそこには広がっていた。

また、このチームが面白いのは ”全員がほぼ平等に” 試合に出るということ。とても上手な選手が、試合の半分しか出ないということがしょっちゅうある。監督さん曰く、『子供達を勝たせたい。でも大人が手を加えることによって失われるものもある。そんな葛藤の末、子供達を選別することをやめた。サッカーの能力で子供達をひいきしない。そういう方向に舵を切ったら、子供達がより輝き出した。』そういうお話。

調査報告。 才能はそこに漂う空気によって育まれる。上達は居心地の良さと結びついていた。”何を学ぶか” よりも ”どこで学ぶか” 。あなたの居心地の良い場所はどこですか。

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勉強会で相撲についての話があった。

時はむかしむかし、民の願いは「お腹いっぱい食べたい」でした。「神様!みんなが楽しみにしている相撲を捧げます。それでどうか五穀豊穣をお願いします」。そうやって相撲は受け継がれてきました。

ところが問題が。五穀豊穣の願いはずっと続きます。けれど運動能力の優れた人しか力士になれないとなると、そういう人材がいなくなったとき相撲が続けられなくなる。それでは困る。ごく平均的な能力しか持っていなくても力士になれないといけない。

相撲の稽古はそういう問題を解決すべく編み出されてきました。だから『四股』『てっぽう』『すり足』といった相撲の稽古には、運動能力を劇的に高めてくれる古の叡智が詰まっているのです。

そういう話だった。なるほど。『四股』『てっぽう』『すり足』といった相撲の代表的な稽古は、普通の人をトップアスリートに変えてしまうと。世界のトップアスリートがトレーニングで四股を踏む。そんな映像を目にする日も近いかもしれない。

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勉強会で『緊張』についての話があった。

緊張は悪者ではありません。むしろ集中力を高めて私たちを助けてくれます。ではどうして緊張すると、身体が思うように動かなくなってしまうのか。それは緊張を取り除こうとするからです。身体から緊張を無くそう無くそうとすると、身体は硬くなり自由を失ってしまう。だから緊張は無くそうとしないで、そのままにしておくのが良い。

そういう話だった。緊張それ自体が悪さをするわけではない。取り除こうとすると悪い影響が出る。だから取り除こうとしないで、そのままにそのままに。なるほど。

『緊張とは座敷わらし』とメモる。

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どうしたらスポーツはもっと上達するのか。

先生にそういうことを聞いたことがある。たぶん ”いい大人” はこういう質問をしない。もしかしたら、してはいけないのかもしれない。でも僕は決して ”いい大人” ではないし、もっと言うと ”大人” かどうかも怪しい。だからどうかお許し願いたい。『スポーツがもっと上手くなりたい』そう思っている世界中の子供達のために。そんなことを思いながら、恐る恐る返答を待つ。

「早く寝ることですかね」

先生はそう言われました。

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インナーゲーム(書影)

少年が味噌汁の入ったお椀を運ぼうとした時、母親は少年に言いました。

「こぼさないように気をつけて」

「うん」と返事をしたその数秒後、少年は華麗につまずき味噌汁を床にぶんまけたのでした。運ぶのが初めてだったわけではないのです。いつも気をつけて、こぼさずに運んでいた。でもその日、母親はより気をつけるよう念を押した。そして私は見事にこぼしたのです。

足をそっと出して。腕を揺らさないように。お椀の傾きをよく見て。こぼさないようにこぼさないように。そうやっていつもより気をつけたのに、カラダはいつものようには動かなかった。不思議だと思いませんか。ぼくらはカラダに指示を出してあげれば、その通り上手に動けると思っています。でも、本当は逆だったのです。カラダは指示をされると上手に動けなくなってしまう。



『新インナーゲーム』の著者ティモシー・ガルウェイはテニスのコーチでした。ガルウェイは、現場でのコーチングを通してあることに気がつきます。それは、「ああしろ、こうしろ」と言葉で動きを伝えると、生徒が上手にプレーできなくなるということでした。

頭では理解しているのに、カラダは上手に動いてくれない。でも本当のところは、「頭が理解しようと動き出すと、カラダは邪魔をされて上手に動けなくなる」ということだったのです。ガルウェイはこの頭の活動のことを「セルフ1」、カラダのことを「セルフ2」と名付けました。そして「セルフ1」が動き出すと、カラダが上手に動けくなることを突き止めたのです。



プロ野球の名選手であり名監督だった故野村克也さんは、キャッチャーだった現役時代、バッターに対してボソボソと声をかける”ささやき戦術”で有名でした。野村さんはバッターのセルフ1を呼び起そうとしていたのです。セルフ1は、頭が良くて、心配性で、頑張り屋です。だから周りの色々な事にすぐに反応してしまう。

ではセルフ1を静かにさせるには、いったいどうしたらいいのか。

「Don’t think feel !」(考えるな、感じろ)と言ったのは、武術家で俳優だったブルース・リーでした。なんとなく理解はできます。でも具体的にどうしたらいいのかわからない。どうすれば考えなくできるのか。どうすれば感じられるのか。



おっと、どうやらセルフ1がお目覚めのようなので、この辺で退散したいと思います。では失礼。

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ビーチで飛び立つ少年

「もっと練習すれば上手くなるよ」とか「もっと努力するれば速くなるよ」とか、大人たちは大抵そういうことを言ってくるわけですが、誰よりもたくさんの練習をした人が、なかなか日の目を見ずに苦しんでいる姿というのを目の当たりにすると、どうやら真実は別のところにあるのではないかしらん、と眉に唾をつけてみたりするわけです。

ぼくらは練習をして、上達の階段を登っていきます。でもこのまま練習を繰り返して、一体どこまで行けるのかと少し不安になったりします。実はとても上手な人や、すごく速い人というのは、今ぼくらが登っているこの階段の先にはいません。この上達の階段をせっせせっせと登って行っても、彼らのいる場所には辿り着けないのです。

彼らは雲の上にいる。そしてこの階段は雲の上までは繋がっていない。だから雲の上に行くには、エイヤー!と、ひとっ飛びするしかないのです。

両手を挙げて、とぉぅ!

ビーチで飛び立つ少年

”両手を挙げる” とぼくらは誰でも飛べるのです。両手を挙げると背中が緩み、肩甲骨が自由になります。肩甲骨はカラダに備わった翼です。肩甲骨が自由になると、カラダはより自由自在に動かせるようになります。ただ、ぼくらのカラダは平穏な日常でだいぶなまってしまっています。丸まったポスターみたいに、伸ばしたてもまたすぐに丸まってしまう。

ではどうするか。ぶら下がります。丸まったポスターを逆側に丸めて真っ直ぐにするように、ぶら下がることで硬くなった背中をほぐしてあげる。そうすると背中は徐々に柔らかくなり、錆び付いて動かなくなった翼も次第に滑らかに動くようになってきます。

ずいぶん前に、ぶら下がり健康器がブームになったことがありました。ぶら下がると腰痛や首のコリが改善する。冷え性が治る。免疫力が上がる。でもそれだけではないのです。ぶら下がると、翼を使えるようになる。すると、上達の階段が途切れていても、そこから上に飛び立てるのです。

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試合や大会になると、なぜか身体が思うように動いてくれない。そんなことがあります。別に怪我や疲労ではありません。練習は順調、前日は快眠。それなのに、”ここぞ” という時になると身体が動かなくなる。まるで子泣き爺を背負っているかのように、身体が重くなってしまうのです。

子泣き爺は、漫画「ゲゲゲの鬼太郎」にも登場する妖怪です。泣いている赤子を装い、あやそうと抱え上げると、石のように重くなり、抱え上げた人を押しつぶしてしまう。スポーツをしていると、いつの間にか子泣き爺を背負っていて、思うように動けなくなる。そういう出来事に遭遇することがあります。



実の所、この問題はぼくの前にも度々表れました。解決方法を探ってみても、どうにもこうにも前に進めない。そこでどうしたのかと言いますと、先人の知恵を手がかりに前進を試みたわけです。

スポーツ上達の奥義” として読み継がれている名著『弓と禅』。その中で、弓道師範の阿波研造はこう言っています。

「正しい射が正しい瞬間に起こらないのは、あなたがあなた自身から離れていないからです」

(オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』稲富栄治郎・上田武訳、福村出版、1981年、p.58)

「自分から離れる」とは一体どういうことなのでしょうか。なんとなくわかるような気もするけど、やっぱりよくわからない。それでも、自分なりに解釈して進んでいくしかありません。



ぼくはいつも「自分の上手さを見せたい」とか「自分の実力を認めてもらいたい」とか、そんな想いであふれていました。自分の中はいつも、自分、自分、自分。自分が濃過ぎる。だから、その自分を薄めてみたらどうだろうか。そう解釈しました。

透明人間になるかのように存在感を消していく。グラウンドの上ではまるで一人足りないかのように。目立たなくていい。透明に透明に。

すると不思議なことに、身体が躍動したのです。自分でも驚くほど自由自在。透明な自分は凄いプレーをしている。そして周りも驚いている。だけどそうやって周りに注目されだすと、次第に透明ではなくなっていきます。「すごいでしょ」「かっこいいでしょ」。そんな自分が表れてきて、気がつくとまた子泣き爺に押しつぶされている。



そう、背中を振り返ってよく見てみると、子泣き爺は自分だったのです。だから自分を薄めれば薄めるほど、身体は軽くなり、自由になる。自分がいない時、自分の能力は思う存分に発揮されるのです。

ただ残念ながら、そうやって能力が発揮され周りに称賛される時、それを味わう自分はそこにはいません。自分はすでに透明なのです。肉体はあるけど、自分はいない。そこには、ただただ爽快な気分だけが残るのです。

子泣きジジイ
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子供の頃、ソフトボールの試合でよくホームランを打つ友人がいました。彼はクラスでも小さい方で、しかも細身。パワーがあるような身体には見えなません。それなのに、彼が打ったボールは勢いよく外野の頭を越えていきます。小さく細い身体のどこにそんなパワーがあったのか、とても不思議だったのです。

実は、ぼくらのカラダには電動アシスト自転車のようなアシスト機能が備わっていたのです。それを使うと、少ない力で大きなパワーを出すことができる。それは、すべての人に備わっています。ただ、少しコツがいる。別に難しいことではありません。知ってかしらずかそのコツを掴んでいる人が大きな力を出せたのです。

そのコツというのは『片足に体重を乗せる』。



身体の構造はとても不思議です。片足にしっかりと体重が乗ると、身体が軽く感じられます。2本の足で支えていた体重を1本の足で支える。頭で考えれば重く感じるはずです。でも片足に全体重がピタッと乗った時、一瞬フワッと身体が軽くなる。重力から解放されたみたいに、身体が自由になるのです。

それは、地球からのアシストなのです。フラミンゴのように片足に体重がピタッと乗ると、地球から大きなパワーがやってきます。するとぼくらは、より速く走れるし、より大きなパワーを出すことができる。また「片足に体重を乗せる」というのは、特段難しくはありません。足の裏にそっと体重を乗せ、スッと立つ。歩く時や、日常の動き中で意識するだけでも変わってきます。



そして、ここまで読んで下さった皆さんは探究心にあふれているので、”どれどれ” と興味深く試されるかもしれません。片足に体重をかけてみたり、片足立ちしてみたり。色々試してみる。そして試した後、こう思います。

「サイトウは嘘ばっかり言いやがる」
「ちっとも軽くなんて感じない。ただ筋肉が辛いだけだ」

でもそれはですね、サイトウが言った ”軽くなりますよ” という余計なアドバイスが一緒に乗っかっているからです。だからその分重くなった。

月日が流れ、ある時ふと「なんか今、身体が軽く感じた」そんな時がやってきます。そして、そういえば「片足に体重が乗ると身体が軽くなる」って誰かが言ってような。そんなことをうっすら思い出した時、カラダはコツを掴みつつあるのです。

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森を歩く子供の足

少年サッカークラブのコーチをしていたときに、子供たち数人に歩いて練習に来るよう勧めたことがありました。彼らの家はグラウンドまで歩いて数分。保護者の方にこちらの想いを説明していると、「うちの子も歩かせます」と声をかけてこられたお母さんがいました。その”うちの子”は隣の学校に通っている小4で、グランウドまでは歩いて1時間弱。それから彼は小学校を卒業するまでの間、歩いてグラウンドにやってきました。

彼はサッカーを始めたばかりで、お世辞にも上手とは言えず、いつもぎこちないく身体を動かしていました。ぼくは半年後にそのチームを離れ、次に彼のプレーをみた時、彼は中学2年生でした。彼はキャプテンマークを巻いて、試合で決勝点を決め、チームの大黒柱として活躍していました。



同じように練習をしていても、なぜか急に伸びる子供たちがいます。反対に、飛び抜けていた才能が次第に目立たなくなることもよくあります。それはなぜかと言いますと、『上達の道』というのは、”大人”にならないと進めないからなのです。子供のままだと途中までしか進めない。ピーターパンのいるネバーランドは、大人は住めない子供の国ですけど、上達の道は大人しか進めない逆ネバーランドなんです。

上達の道は、山登りに似ています。山の裾野はなだらかで、きれいな道が続きます。景色も良くてグングン進んでいける。何も気にせず、能力だけで進めます。

でも、だんだん道は険しくなっていく。そうなると同じようには進めません。スニーカーでは危ないし、薄着のままでは寒くて登れない。必要な装備をして、ゆっくりと歩を進める。そうやってでしか、上の方は登れません。

山は高くなればなるほど、登り方が変わってきます。何が必要なのか、どうやって登っていけばいいか、そういうことは誰かが教えてくれるわけじゃない。大人になって自分で気がつくしかない。だから上まで登りたければ、大人になるしかなんです。



歩くと、脳が発達し、身体能力が上がる。そういうことはよく知られています。歩くことは全方位に効く、最高のトレーニングであると。でもそれだけではありません。歩くことでぼくらは成熟します。精神的に大人になれるのです。

子供がつたない足取りで、ヨタヨタとどこかに向かって歩いていく。どこに向かっているんだと思いますか?あれは大人に向かって歩いているんです。子供はただミルクを飲んで、ご飯を食べて大人になるわけではありません。子供は”歩いて”大人になるのです。

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肩甲骨を翼のように使ってジャンプする少年

テレビ番組で、オリンピックに出場するアスリートが紹介されていました。彼は自分の身体の特徴として「肩甲骨の柔らかさ」を挙げ、その柔らかさを披露してくれました。肩甲骨が背中からボコっと飛び出し、それを右へ左へ自由自在に動かします。

不思議なことに、そんな風に柔らかく動く肩甲骨を見せてくれたアスリートは、彼だけではありません。トップアスリート達は、様々なメディアでその自慢の肩甲骨を披露していたのです。トップアスリートは、肩甲骨が柔らかい。競技も、体型も、性別も違うのに、皆一様に背中から飛び出た肩甲骨を、グニャグニャと自由に動かしてくれます。



ところで突然ですが、こんな話をご存知ですか。

昔々のその昔、人間には翼が生えていました。大空を羽ばたき、どこまでも自由に飛んで行けたのです。人間は本当の意味で自由でした。しかし、いつしか人間は自由をはき違え、次第に傲慢になっていきました。そしてついに神の逆鱗に触れ、その自由の象徴だった翼をもがれてしまったのです。

ダーウィンにケンカを売るような話ですけど、もし私たちの体に翼が生えていたとしたら、位置的に考えても、おそらく肩甲骨から生えていたでしょうね。翼は神様にもがれてしまったみたいなので、今私たちにあるのはこの肩甲骨だけです。肩甲骨では空は飛べない。でも空は飛べないけど、飛ぶように舞うことは出来ます。肩甲骨が自由になると、身体も自由になります。肩甲骨は、現代の ”翼” だったのです。



ただ、多くの人は肩甲骨を背中にしまったままにしています。背中の中に埋まっていて、自由に動かせない。だからまず肩甲骨を表に出してあげます。

下腹を引っ込め、あばら骨を引き上げる。

体がほんの少し浮くような感じがしましたか。重力から解放され、翼の生えたような感覚。もしそんな感覚を味わえたとしたら、あなたの肩甲骨は翼のように羽ばたく準備ができているのです。

肩甲骨を翼のように使ってジャンプする少年
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輝くひまわり

市の中心部から少し離れた自然広がるのどかな町。そこに小さな少年サッカークラブがあります。特段強いチームではありません。むしろなかなか勝てない。でも不思議なことに、毎年とても素晴らしい選手が出てくるのです。そのチームの中心だった子供たちは、どこのチームに行ってもみんな活躍する。そんなチームがあります。

なんで小さなサッカークラブから、次々に素晴らしい選手が出てくるのか。何か特別な練習方法でもあるのだろうか。そんな謎を解くため、練習を覗かせてもらいました。



期待を胸にグラウンドに目を配ると、見えてくるのは ”なんてことない” 練習風景。特別なことは何一つない。どこのチームでもやっているような、そんなよくある練習だったのです。ただ、しばらくしてあることに気がつきました。それは、子供たちの笑顔が多いということ。

なるほど、指導者が威張っていない!強いチームでも弱いチームでも、大人が偉そうな雰囲気を漂わせていることはよくあります。たとえ怒鳴っていなくても、笑顔でいても、威圧的な空気をまとった大人はいたるところにいます。

でもこのチームの大人たちにはそれがないのです。ピリピリとした空気ではなく、落ち着いた雰囲気がグラウンド全体を包み込んでいる。もちろん子供だから、時にふざけすぎて怒られたり、注意されることもあります。それでもやっぱりグラウンドには優しい空気が漂っていて、何かほっこりとした、居心地のいい空間がそこにはあったのです。



またこのチームには、もう一つ大きな特徴がありました。それは試合に来た子供たちが、『全員ほぼ平等に』試合に出るということ。とても上手で中心的な選手が、”前半だけしか出ない”、”後半だけしか出ない”、そういうことがしょっちゅうあるのです。

コーチの方々には、ここに至るまでの葛藤があったようです。

子供達を勝たせたい。でも大人が手を加えることによって失われるものもある。そんな試行錯誤の末、『子供達を選別することをやめた』。サッカーの能力で子供達をひいきしない。そういう方向に舵を切ったら、子供達がより輝き出した。才能が次々と開花した。

そういうお話でした。



才能は、そこに漂う空気によって育まれる。「何を学ぶか」よりも「どういう場所にいたか」。上達の道は、居心地の良さと結びついていたのです。

あなたの居心地のいい場所はどこですか。

輝くひまわり
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