ぼくらは歩いて大人になる

森を歩く子供の足

少年サッカークラブのコーチをしていたときに、子供たち数人に歩いて練習に来るよう勧めたことがありました。彼らの家はグラウンドまで歩いて数分。保護者の方にこちらの想いを説明していると、「うちの子も歩かせます」と声をかけてこられたお母さんがいました。その”うちの子”は隣の学校に通っている小4で、グランウドまでは歩いて1時間弱。それから彼は小学校を卒業するまでの間、歩いてグラウンドにやってきました。

彼はサッカーを始めたばかりで、お世辞にも上手とは言えず、いつもぎこちないく身体を動かしていました。ぼくは半年後にそのチームを離れ、次に彼のプレーをみた時、彼は中学2年生でした。彼はキャプテンマークを巻いて、試合で決勝点を決め、チームの大黒柱として活躍していました。



同じように練習をしていても、なぜか急に伸びる子供たちがいます。反対に、飛び抜けていた才能が次第に目立たなくなることもよくあります。それはなぜかと言いますと、『上達の道』というのは、”大人”にならないと進めないからなのです。子供のままだと途中までしか進めない。ピーターパンのいるネバーランドは、大人は住めない子供の国ですけど、上達の道は大人しか進めない逆ネバーランドなんです。

上達の道は、山登りに似ています。山の裾野はなだらかで、きれいな道が続きます。景色も良くてグングン進んでいける。何も気にせず、能力だけで進めます。

でも、だんだん道は険しくなっていく。そうなると同じようには進めません。スニーカーでは危ないし、薄着のままでは寒くて登れない。必要な装備をして、ゆっくりと歩を進める。そうやってでしか、上の方は登れません。

山は高くなればなるほど、登り方が変わってきます。何が必要なのか、どうやって登っていけばいいか、そういうことは誰かが教えてくれるわけじゃない。大人になって自分で気がつくしかない。だから上まで登りたければ、大人になるしかなんです。



歩くと、脳が発達し、身体能力が上がる。そういうことはよく知られています。歩くことは全方位に効く、最高のトレーニングであると。でもそれだけではありません。歩くことでぼくらは成熟します。精神的に大人になれるのです。

子供がつたない足取りで、ヨタヨタとどこかに向かって歩いていく。どこに向かっているんだと思いますか?あれは大人に向かって歩いているんです。子供はただミルクを飲んで、ご飯を食べて大人になるわけではありません。子供は”歩いて”大人になるのです。

Comments are closed.