スポーツの奥義

弓と禅(書影)

どうしたらもっと上達するのか。どうしたらもっと良い記録が出るのか。スポーツをしていると、そういう迷路によく迷い込みます。「誰もがもっと上達する」。そんな ”スポーツの奥義” みたいなものがあったら、もっとスポーツは楽しいのに。そんなことを思ったりしませんか。

でももし皆さんが、そんな ”スポーツの奥義” を求めて旅をしているとしたら、ようやく辿り着きましたよ。ここが目的地です。西遊記で言えば、ここが天竺です。三蔵法師は天竺まで来て、ようやくありがたいお経を手にすることが出来ました。皆さんが求めていた”スポーツの奥義”は、この『弓と禅』の中にあります。



『弓と禅』はドイツ人哲学者のオイゲン・ヘリゲルが、弓道師範の阿波研造に弟子入りし、その師とのやり取りを記した練習記です。師は言います。

あなたは何をしなければならないかを考えてはいけません

(オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』稲富栄治郎・上田武訳、福村出版、1981年、p.55)

正しい射が正しい瞬間に起こらないのは、あなたがあなた自身から離れていないからです

(前掲『弓と禅』、p.58)

「考えるな」。そして「自分から離れろ」。師はそう言います。「考えるな」は、まだ何となくわかります。でも「自分から離れろ」とは、いったいどういう事でしょうか。ヘリゲルはどんどん混乱していきます。

「いったい射というのはどうして放されることができましょうか、もし ”私が” しなければ」
「 ”それ” が射るのです」
「 ”それ” とは誰ですか、何ですか」

(前掲『弓と禅』、p.92)

とても良い動き、素晴らしいプレー。そういうことが出来た時、まるで ”自分ではないみたいだった”、そんな風に感じることがあります。気持ち良く走ったら、なぜか速く走れた。力を入れていないのに、すごい力が出た。”自分ではない誰か” が行った時、なぜか上手くできる。


 では、この”自分ではない誰か” とはいったい誰なのか。そして、どうしたら現れるのか。


もしかしたら、この”自分ではない”ような感覚を「体験したことがないし、よくわからない」という人も多いかもしれません。でも大丈夫。きっとこれから、あなたにも起こります。それはなぜかとういうと、もしあなたがこの謎を抱え込んだとしたら、あなたは今まさに、”スポーツの奥義”に触れているからなんです。

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